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2005.01.22

ちべ者お蔵だしーチベットの秘宝展

 友情リンクである長田幸康さんの「チベット式」でチベット温故知新企画があります。
 勝手に便乗企画。明治から戦前までの潜入モノは多数ありますので、こちらは戦後でのチベットとの関係を断片的にと。

日本の古本屋で過去のチベット関係の書籍などを衝動的大人買いしたことがありまして。それからご紹介。

「チベットの秘宝展」(発行 読売新聞社 1967年9月)

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 ダライ・ラマ法王におかれては今年4月に来日されることになってますが、初来日は35年以上も前の1967年でした。

Niftyの新聞検索だと80年代からしかDB化されてなくて、この時代の記事は収録されていないので、実際の旅程は判らないままですが、Googleで検索したところ浄土宗新聞の記事が見つかりました。
対中国関係はともかく、仏教界内部での思想的反対ってどんなのでしょう?

 で、そこでも紹介されている東京、大阪、静岡の松坂屋デパートで開催した「チベット秘宝展」のカタログ。

 主催は読売新聞。後援は亡命政府のチベット・ハウス・ミュージアム。ダライ・ラマ法王のメッセージ付。 
 タンカや仏像などの展示品の写真とか解説がメインです。
 
 冒頭の読売新聞社の挨拶は、

「チベットの古美術は、そのきびしい地理的条件にはばまれて、なかば、神秘的な伝説としてのみ語られ、真実の姿は、久しく外界に紹介されずにおりましたが、このたび、読売新聞社は、チベット仏教教主、ダライ・ラマ法王の特別のご好意により、1600年にわたって伝えられた、法王秘蔵の文化財、200余点を、海外初公開として、わが国に紹介いたすことになりました。」
 
 ダライ・ラマ法王のメッセージは↓。写真をクリックすると読める大きさになります。
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 で、この展覧会ですが、平穏無事には終わらなかったようです。この展覧会が開かれた1967年は中国では文化大革命がまっさかり。で、外国人は米国帝国主義かソ連修正主義の手先とみなされていた時代でした。

 この秘宝展の開催を、中国側は反中国的活動であるとして、読売新聞記者の北京常駐資格を取り消し、滞在期限切れとなり帰国していた読売系列の日本テレビ放送網(民放代表)の後任記者への入国許可も下りませんでした。その後詫びを入れて解決したようですが。
 (出所:小野 貴樹「日本の中国報道」http://web.sfc.keio.ac.jp/~takaki/hpdata/project.htm)

 ま、当時は中国報道といっても、せいぜい毛沢東がどうしたこうしたあたりでしょうし、日本との経済関係はほぼゼロでしたが、今はそうも言ってられないし。
 こういう風に大新聞が亡命政府サイドと組んでイベント開催というのはありえないでしょうね。

このカタログ、Googleで検索するといくつかの古本屋で在庫があってネット販売してるようです。
てことは結構盛況だったのかな。

 

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Comments

1967年の第1回来日の後、
第2回の1978まで10年以上あいてますね。
毛沢東が死ぬまで日本側も動きがとれなかったんでしょうか。
当時は文革は素晴らしいことだと新聞に書いてあったんですよね?
よく北京放送を聴いてたので、うっかり信じそうになりましたよ(笑)

Posted by: 長田 | 2005.01.24 02:35 AM

確かに、この失われた10年間に何があったのでしょうか。ま、反動勢力の親分みたいな扱いだったのか。

>>当時は文革は素晴らしいことだと新聞に書いて>>あったんですよね?

「魂に触れる革命」、とか書いてたそうですが。
そのあたりは記事に引用した”小野貴樹「日本の中国報道」”をどうぞ。
当時の対中報道のあり方について、朝日新聞の姿勢が中心に書いてありますが、新聞各社の思惑に加え、「朝日新聞内部の権力闘争」まで絡んでたそうで。

Posted by: あさだ | 2005.01.24 09:09 AM

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