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2005.11.17

パンチェン・ラマ10世の娘さんインタビュー(2)

パンチェン・ラマ10世の娘さん、Yabshi Pan Rinzinwangmoさんへのインタビューの続きです。

・パンチェン・ラマ11世には2回会っている。第1回目は父親であるパンチェン・ラマ10世の死後10周年の式典が北京の人民大会堂で開催されたとき、第2回目は2002年に、チベット語と仏教の勉強のためにチベット自治区のシガツェのタシルンポ寺に滞在したとき。

・父親の転生である現在のパンチェン・ラマ11世に面会した際には気持ちの高ぶりを感じたか、って皆に聞かれる。”そういうこともあったから、何かを感じたいし、感じようとして会見に行った。でも、会見では気持が大きく乱された。パンチェン・ラマ11世の前では五体投地(原文ではkowtow:叩頭)するように言われたから。 自分は父親が何を信じているのか、信じていないのかわかっている。父親はそんな宗教上の理由でひざまづいてもらうなんてことを誰にも望んでいなかった。会見はあっという間に過ぎたが、ずっと父親のことを考えていて、悲しく、寂しく感じていた”。
 
・いわゆるもう一人の、ダライ・ラマが認定した方のパンチェン・ラマ11世についてはあったこともないし、何もしらない。ダライ・ラマは数回アメリカを訪問しているが、ダライ・ラマに会ったこともない。 でも、アメリカを離れる2ヶ月前も含めて何回も、ダライ・ラマの”関係者”が自分のところにきて生活ぶりを尋ねて支援を申し出ている。”だからダライ・ラマは自分のことを大いに気にしてくれている。それは幸せなことね”。

・パンチェン・ラマ10世は、1959年にダライ・ラマ14世がインドに逃れた後も、チベットにとどまり続けた。最初は、中国にとってパンチェン・ラマ10世の存在は有益なものであったが、次第に文化大革命の波が押し寄せるなかで、封建主義の残滓とされ、投獄された。座主を務めていたシカツェのタシルンポ寺も破壊された。

 1977年に釈放され、当時39歳のパンチェン・ラマ10世は新しい人生を始めた。1979年に結婚。1983年に娘が生まれた。彼女は周恩来の未亡人の鄧(トウ)穎超からは「団団」、団結者(Unifier)と呼ばれていた。政治的な望みが彼女に託された最初のできごとである。

・タシルンポ寺の再建の資金集めのために、パンチェン・ラマ10世はGyang Gyen会社(剛堅公司)というビジネスも始めた。これらの行為みな、最初は大きな非難と疑惑を招いたが、パンチェン・ラマが中国の失政に対する反対を揺らぐことなく話し出すにつれて(たとえばこちら)、大きな尊敬と敬愛を獲得していった。

・これまでの6世紀間続く、ダライ・ラマ及びパンチェン・ラマの転生の流れの中で、知られている限り、彼女は最初の子供となっている。でも”チベット人は、たいがいパンチェン・ラマ10世が僧侶として妻帯を禁じる戒律を破ったことを許している”。彼女がチベットに行ったときには1万人もの人が彼女の顔をみるために集まってきた。”彼らは私に近寄ろうとしてきた。私がチベットの人に触れたとき、皆は私の父親に触れていると感じてるのです。”

(以上)

最後の段落で「知られている限り最初の子供」てのは知られていない子供がいるってことでしょうか。
やはりダライ・ラマ6世には隠し子がいたってことを暗示してるのかな。どうでしょう?

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