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2005.11.25

チベット自治区の第11次五ヵ年規画の建議

北京では去る10月に中国共産党中央委員会総会が開催され、2006-2010年の第11次五ヵ年規画への建議が出されました。
(内容は”中国情報局”のこちらあたりで)

チベット自治区でも、これにあわせて「チベット自治区の第11次五ヵ年規画」への建議が出されました。要はこれからの5年間の経済社会政策の考え方というところ。

ざっとみて、
・基本的な指導方針としては、”共産党の指導を堅持し、社会主義制度を堅持し、民族自治制度を堅持し、全ての側面において科学的発展観を貫徹し、さらに深め、経済建設を中心として発展と改革により前進する中での問題を解決し・・”とかありますが、まぁお題目はいいでしょう(笑)。

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・やはりこれからの五年間というと、現在建設中のチベットー青海鉄道の開通が07年頃に予定されていますが、
”チベットー青海鉄道の建設を骨幹として、ラサを中心とする自治区中部とそれと連携する東部、西部地区で、産業によって支えられた都市部を建設し、農業牧畜地区の余剰労働力を移転させるとともに、集中定住を加速して、人口などの生産要素の集結を図り、行政・社会の管理コストを下げ経済社会の活力と効率、効益を高める”とあります。

要は遊牧とかでバラバラに住んでいる人を、なるべく都市部に集め、そこで生産活動を行ってもらおう、そうすれば効率がいいし、ってことでしょうけど、どうかねー。
農村であまってる労働力を都市部に移転させ、モノやサービスの生産に従事させようというのは、経済発展の王道(日本だって、戦後、農村の次男坊三男坊を”太平洋ベルト地帯”の工場に働きにださせたのが現在の経済発展につながってます)だけど、人口全体が少なく、また、作ったモノが簡単に輸出できないチベットではそれは難しいでしょうけどね。

・旅行関係だと、”道路の改修拡充を行う。基本的にはアスファルト舗装の道にする”、”ンガリ(阿里)、バムダ、シガツェの空港の新規建設、改修拡充について研究する”とあります。

空港建設については、過去、ここで今年7月に記事にしました

・で、北京で策定された中国全体の経済規画と趣が違うのが、チベット自治区では”マルクス主義に基づく祖国観、民族観、宗教観、文化観に関する教育を広範に展開し、共産党員及び幹部には、より深く唯物論、無神論教育を展開し・・・、”といったことがねっちりと書いてあります。

北京だと、共産党の文書といえども、マルクス主義でどーしたこーしたなどというのはあまりお眼にはかからなくなりましたが。

全文はこちら(西蔵信息中心)

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2005.11.23

TV:再放送ですが。

11.24(木)11/24 10:10~11:00 NHK-BS1
BS世界のドキュメンタリー「ブータン青春ラプソディー」

11/21の再放送。伝統と現代のはざまでということで、ブータン初のDJと、僧侶になった青年の対比でした。
スペインのTV局制作。

11.29(火) 19:00-20:00 BS朝日
亜細亜見聞録「中国青海省・黄金の天空に舞う」

これも再放送。青海省の菜の花畑で養蜂の技術協力を実施している日本人の話でした。

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2005.11.17

パンチェン・ラマ10世の娘さんインタビュー(2)

パンチェン・ラマ10世の娘さん、Yabshi Pan Rinzinwangmoさんへのインタビューの続きです。

・パンチェン・ラマ11世には2回会っている。第1回目は父親であるパンチェン・ラマ10世の死後10周年の式典が北京の人民大会堂で開催されたとき、第2回目は2002年に、チベット語と仏教の勉強のためにチベット自治区のシガツェのタシルンポ寺に滞在したとき。

・父親の転生である現在のパンチェン・ラマ11世に面会した際には気持ちの高ぶりを感じたか、って皆に聞かれる。”そういうこともあったから、何かを感じたいし、感じようとして会見に行った。でも、会見では気持が大きく乱された。パンチェン・ラマ11世の前では五体投地(原文ではkowtow:叩頭)するように言われたから。 自分は父親が何を信じているのか、信じていないのかわかっている。父親はそんな宗教上の理由でひざまづいてもらうなんてことを誰にも望んでいなかった。会見はあっという間に過ぎたが、ずっと父親のことを考えていて、悲しく、寂しく感じていた”。
 
・いわゆるもう一人の、ダライ・ラマが認定した方のパンチェン・ラマ11世についてはあったこともないし、何もしらない。ダライ・ラマは数回アメリカを訪問しているが、ダライ・ラマに会ったこともない。 でも、アメリカを離れる2ヶ月前も含めて何回も、ダライ・ラマの”関係者”が自分のところにきて生活ぶりを尋ねて支援を申し出ている。”だからダライ・ラマは自分のことを大いに気にしてくれている。それは幸せなことね”。

・パンチェン・ラマ10世は、1959年にダライ・ラマ14世がインドに逃れた後も、チベットにとどまり続けた。最初は、中国にとってパンチェン・ラマ10世の存在は有益なものであったが、次第に文化大革命の波が押し寄せるなかで、封建主義の残滓とされ、投獄された。座主を務めていたシカツェのタシルンポ寺も破壊された。

 1977年に釈放され、当時39歳のパンチェン・ラマ10世は新しい人生を始めた。1979年に結婚。1983年に娘が生まれた。彼女は周恩来の未亡人の鄧(トウ)穎超からは「団団」、団結者(Unifier)と呼ばれていた。政治的な望みが彼女に託された最初のできごとである。

・タシルンポ寺の再建の資金集めのために、パンチェン・ラマ10世はGyang Gyen会社(剛堅公司)というビジネスも始めた。これらの行為みな、最初は大きな非難と疑惑を招いたが、パンチェン・ラマが中国の失政に対する反対を揺らぐことなく話し出すにつれて(たとえばこちら)、大きな尊敬と敬愛を獲得していった。

・これまでの6世紀間続く、ダライ・ラマ及びパンチェン・ラマの転生の流れの中で、知られている限り、彼女は最初の子供となっている。でも”チベット人は、たいがいパンチェン・ラマ10世が僧侶として妻帯を禁じる戒律を破ったことを許している”。彼女がチベットに行ったときには1万人もの人が彼女の顔をみるために集まってきた。”彼らは私に近寄ろうとしてきた。私がチベットの人に触れたとき、皆は私の父親に触れていると感じてるのです。”

(以上)

最後の段落で「知られている限り最初の子供」てのは知られていない子供がいるってことでしょうか。
やはりダライ・ラマ6世には隠し子がいたってことを暗示してるのかな。どうでしょう?

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2005.11.15

記事:パンチェン・ラマ10世の娘へのインタビュー

パンチェン・ラマ10世(1938-1989)には1983年生まれの娘さんがいます。
パンチェン・ラマ10世は1962年に中国政府を批判したとして、失脚、投獄されてました。1977年に釈放されてのち、本来チベット仏教の僧侶として妻帯はできませんが、1979年に漢人女性と結婚、1983年に一女を設けました。
pchn

その娘さんへのインタビューがオーストラリアのThe Age紙に掲載されてました。記事はこちら

内容をざっと。

・パンチェン・ラマ10世の娘の名前はYabshi Pan Rinzinwangmo(ヤブシ・パン・リンジェンワンモ)。友人はRenjiと呼んでいるが、多くの人には”チベットのプリンセス”と呼ばれている。母親はLi Jie(李潔)。元人民解放軍の軍医で、国共内戦の際の著名な将軍の孫娘。

・10年間アメリカで勉強した。ロサンゼルスの高校、ついでワシントンのAmerican Universityで政治学を勉強し、今は中国に戻ったばかりで、エリート大学の北京の清華大学で博士号取得のための勉学を続けることになっている。中国に戻るに際して、中国国内のどの大学で何を勉強してもいいと言われてきたが、それは「中国の最高指導部」、基本的には胡錦濤国家主席からそう言われた。
 
・彼女は自分の将来の役割を「団結者」(unifier)と考えている。「私は自分のなすべきことを、パンチェン・ラマ10世の娘としてはっきり認識している。チベットの人たちは自分をプリンセスと呼ぶが、チベットの人たちは希望と夢を私に託している。またチベット人は私が何かをなすことを期待している」
 
 (この項つづく: 現在のパンチェン・ラマ11世に面会した時の話などが続きます。)
 
 写真はThe Age紙掲載の北京の自宅での風景。

ついでに私はこの人を02年夏のラサでちらっとみたことがあります。ジョカンに人だかりがして、カタを捧げる人が一列に並んでいるので、どこかの高僧でも来たのかと思って、よく見ると若い女性でした。後できくと,このパンチェン・ラマ10世の娘さんということでした。

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2005.11.14

こんどは英国のチャールズ皇太子

11月11日にはアメリカのブッシュ大統領とダライ・ラマ法王の会見を記事にしました。
で、今後は英国。

11月14日の各紙で「チャールズ皇太子日誌で中国批判」というのが出てました。
たとえばスポニチの記事はこちら

でも、この記事は肝心なところがカットされてるようです。
私がNIFTYのニュースクリッピングでGetしたモト記事(共同通信配信)には、

中国外交官は「ろう人形」 英皇太子、日誌につづる

共同通信ニュース速報

 【ロンドン13日共同】13日付の英大衆紙メール・オン・サン
デーは、チャールズ皇太子が1997年の香港返還式典で会った中
国外交官について、個人的な日誌に「ぞっとする古いろう人形のよ
うだった」などと表現していたと報じた。
 当時の江沢民・国家主席を批判した記述もあり、同紙は中国との
外交問題に発展する可能性もあると指摘している。
 日誌は皇太子が定期的に書き、友人や親せきなどに配布している
という。PA通信によると、皇太子公邸クラレンスハウスは「誰か
が違法な手段で入手したことは明らか」で、同紙に対する法的手段
を「真剣に検討する」としている。
 皇太子は「香港返還」と題した記述で、式典の様子について「ひ
ざを曲げずに足を伸ばす歩調の兵士がばかげた煩雑な行事を行い、
すさまじいソ連スタイルだった」と指摘。江主席についても「ある
種のプロパガンダ演説をして、忠実な中国共産党員が大声で喝采
(かっさい)を送った」と記した。
 チャールズ皇太子は、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の支持者だという
                          
と、なかなかアジのある終わり方になってます。
何でスポニチは最後の2行を消したのか!

ここがおいしいところなのに、と言ってもしゃーないか。

てことで、調べてみたら、英国のチャールズ皇太子とダライ・ラマ法王は最近では2004年5月にロンドンで会見してます。

これに関してのBBCの記事で、皇太子の報道官の説明では、
・精神的指導者(ダライ・ラマ法王のこと)に対する皇太子の支持はよく知られている。
・何年もの間、皇太子はチベットの人々の状況について懸念を抱いており、まだ、ダライ・ラマの平和的解決に向けた努力に対しても感銘を受けている。

なお、チャールズ皇太子がダライ・ラマ法王と会見するのはこの時で3回目。

記事はこちら(英語)。
どうも、前の奥さんとのこともあって、人気はイマいちなんですが、こういうところもあったのかと、見直しました。

ま、エラそうに言うことじゃないんでしょうけど。

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2005.11.12

中国でのネット規制

既に長田幸康さんの「チベット式」で05年6月2日記事でネタになってますが、中国ではチベット関係など、政府に都合の悪いサイトはアクセス制限がかかってます。

で、カナダのトロント大学、アメリカのハーバード大学法律学院、英国のケンブリッジ大学の共同研究機関のOpenNet Initiativeというのがあり、そこで"Internet Filtering in China in 2004-2005: A Country Study" (2005年4月14日)を最近ネットで発見。

中国でのインターネットアクセスの制限に関する総合的な実証研究ですが、チベットに関しては、多くの欧米の関係サイトがブロックされているが、なぜかダラムサラの亡命政府がやっているtibet.comが中国国内で見られるんだそうです。

ついでに、やりすぎ事例(Overblocking)てのがあってメキシコの”Dalai Software”という、全くダライ・ラマ法王やチベットと関係なさそうなソフトウェアの会社も、ドメイン名(というか会社名)がたたってブロックがかかってみられないことがあるんだとか(上記レポートP44参照)。

ついでに、きいたところでは、映画のプロモーションにかこつけて頼まれもしないのにチベット問題をぶちあげるとか、93年のアカデミー賞の授賞式のプレゼンで同様に頼まれもしないのにチベット問題を演説して、つまみだされたとかの伝説がある、俳優のリチャード・ギア氏のチャリティ団体Gere Foundationも中国国内ではアクセスブロックがかかっててダメだったとか。

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2005.11.11

ダライ・ラマ法王がアメリカのブッシュ大統領と会見

11月9日に、訪米中のダライ・ラマ法王とアメリカのブッシュ大統領の私的な会見(Private Meeting)がホワイトハウスで行われたそうです。ダライ・ラマ法王がブッシュ大統領と会見するのはこれで3回目。
DL


International Campaign for Tibetの記事によれば、

・ブッシュ大統領は、ダライ・ラマが行っている中国指導部との対話による問題の解決への努力に対して強い支持を表明した。
・ダライ・ラマは、大統領に対して中国との対話の状況について説明し、前途は明るいとの考え方と同時に、チベットでの状況についてのいくつかの懸念を共有した。ブッシュ大統領に対しては「古い友人と再会しているように感じている」と述べた。

写真はホワイトハウスのサイトから。こちら。ブッシュ大統領の首にまかれているのはダライ・ラマ法王から贈られたカタ。

前職のクリントン大統領の時代には、中国への配慮からゴア副大統領と会見しているところに”たまたま”、クリントン大統領が立ち寄るという形で会見してたと思いましたが、ブッシュ大統領になってからは直接面会してるんですね。

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2005.11.04

TV:セガール・リンポチェ登場(今夜!)

○「東京爆旅」
2005.11.05(土)02:45-03:15 TV東京
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東京の各地をチャリンコで回るんだそうですが、今回はスティーブン・セガールがゲストで浅草編だそうです。
浅草寺の観音様に五体投地か。
写真は司会の南部虎禅のサイトから。こちら

セガールといえば、これまでネタにしてますが、チベット仏教の熱心な信者で、ニンマ派の「テルトン」(埋蔵経発掘者)の転生に認定されてます。

このサイトでの記事はこちら(脱線:ダライ・ラマ訪日 2005.04)。 

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2005.11.02

ポタラ宮の屋上(頂上)の拝観停止

チベット自治区の公式メディア西蔵信息中心にのってました。
rooftop

現在。ポタラ宮は第2期改修工事中ですが、2006年の改修終了以降も、頂上部分(金頂群)は観光客には開放しないとのこと。

行かれたことのある方はご存知でしょうが、ポタラ宮をぐるぐる参観して、最後にたどりつく屋上で、ラサの街を見下ろす広場みたいところです。写真を見れば思い出される方も(TINのサイトから)。

ここに大量の観光客が押し寄せ、しかもなかなか帰らないため、建物の構造に過重な負荷がかかることから、ポタラ宮の維持保存に問題がでてきたとのこと。確かにラサの街並みを見下ろす記念写真を撮るには最適だし。

ポタラ宮の65歳の僧侶は「ポタラ宮は350歳の老人だ。あちこちに痛みがでているが、口をきいて痛いと訴えるわけにもいかない。だから我々があれこれ気を使わないといけない」とコメントしてます。

記事の原文はこちら

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