2006.01.31
2006.01.29
偶然:街角でみつけた空ちべ
カワチェンのご主人、ケルサン・タウワさんやiTibetのRyoheiさんと大酒を飲んだ帰りに、南青山あたりで発見。
この店はまったくチベットとは関係ないだろうけど、それまでチベットの話題ばっかりだったので、アタマがチベットしてたところで、これを偶然見つけて大笑い。
【解説】”チベット”をチベット語で標記したものをローマ字標記すると”bod”(プー)となります。(リンク先はWikipediaへ)
2006.01.26
2006.01.21
ラサのビール
チベット・ラサといえばビールである。そういうことにしておきましょう(笑)。
90年代半ば位までは、街中で手に入るのは、青蔵公路をはるばる運ばれてきた蘭州ビールか、正体不明のBlue Ribbonとかいうカンビールでした。
数年前くらいからラサビール(拉薩(ロ卑)酒)が街中に出回るようになりました。
ラサビールは04年2月にデンマークのカールスバーグと合弁になったんですね。詳細はこちら(英語)。しかも、デンマーク政府の対外援助の公的資金も得ての合弁のようです。
これで、ラサビールの天下かと思えば、世の中甘くなかった!
で、今年の正月に行ってみたら、新顔ビールが急速に席巻しておりました。
ラサからずっと東、チャムド(昌都)で製造された”雪花ビール”が最近デビューしたようです。
これは、現在中国で全国展開している華潤雪花ビール有限公司製造。華潤集団公司は、毛沢東の時代からある商務部(以前の対外経済貿易合作部:日本でいうと経済産業省)傘下の企業。 04年10月にチャムドにあったビール工場を買収して製造開始だとか。
で、飲み比べてみると、ラサビールは昔同様で、”薄い、すっぱい”。あとは、”泡がでない”。
どうもホップをケチっているんではないかという説も。
雪花は一応泡も出て、結構しっかりした味でした。
値段は両方同じで大体5元。やはり雪花の勝ちかな。
で、雪花ビールは全国展開しており、成都の火鍋屋でも雪花ビールが大量に売られてました。これは四川省の綿陽かそのあたりの製造でした。
2006.01.15
本土チベット人の日本旅行
正月、ラサに行った際に、知人から近々、ラサから日本にツアーが出るんだけど、という話を聞きました。 ま、まだ観光は解禁されてないから、政府のエラい人の視察名目のツアーなんでしょうけど。
日本では最初に大阪、神戸。そのあと、新幹線で”富士山を車窓から見学”のあと、まずは箱根で一泊。そのあと、横浜の中華街や港の見える丘公園。
東京では、まずは定番ディズニーランド1日。あとは、東京都庁展望台、秋葉原、銀座散策、お台場のトヨタ自動車のMegaweb、ついでに夜は歌舞伎町見学というあたりでした。
チベット人だからお寺はどうするんかと思ったら、「浅草寺+仲見世」がしっかり入ってました。
どういうところか聞かれたので、「浅草寺」は観音菩薩のゴンパで、仲見世(写真)はバルコル、と答えておきました。
歌舞伎町はラサでいうとジャマリンカだなぁ、と説明したら、速攻、”prostitution(フーゾク関係)か?”とツッコまれました。お分かりのようで(笑)。
ついでに、箱根は「テルドム湯泉」てことで。
ま、中国からの観光客向けのパッケージ定番コース(一例。漢語)で、チベット人向けスペシャルってことじゃないようですね。
”チベット人ならば、やっぱり海は珍しいし、見たいんでしょ?”と聞くと、”政府の幹部だと、皆出張で上海だの広東だのの沿海部に行ったことある人ばっかりだから、今さらねぇ”ということでした。ごもっとも。
しかし、”典型的な日本料理をご賞味”とかいうけど、刺身とかは大丈夫なのかなぁ。
2006.01.11
2006.01.09
ラサのヤクホテルの電飾カンバン
ラサの街角シリーズ。
格安旅行者におなじみのラサのヤク・ホテル(亜賓館)のカンバン。
私は88年9月、今を去ること17年前にラサに最初にたどりついた際に泊まったのがヤクでした。当時は亜旅社と言ってましたが。
今は増築を繰り返し、2つ星ホテルなんだとか。
で、カンバンの電飾。
ラーメンのドンブリのフチがくるくる回ってるようで・・・・(笑)。
動画ではこちら(aviファイル形式)。
2006.01.08
TV:当面の番組
当面のチベット関係番組です。
○「夢の美術館ーうるわしのアジア 仏の美100選」
01.09(月/祝) 08:35-09:50、10:05-11:50、13:05-14:55
番組サイトはこちら。
チベットものは10:05-のコマで。ラダックのアルチとか、西チベットのピャン・ドンカルが出てきます。昨年12月にNHK-Hiで、正月にBSで放映されたもの。
ナレーターが”タモリ倶楽部”や”アド街ック天国”と同じ方だし、紹介の仕方も”アド街”ぽくて、そう思うとイマイチありがたみがないというか(笑)
○「世界の屋根チベット紀行」
01.10(火)、11(水)、12(木)3日連続 23:45-23:55
さらに01.14(土) 23:40-23:50 NHK-BS2
10分間のミニ番組。ラサの主要スポットが淡々と出てきます。
訃報:ハインリヒ・ハラー逝去
今年1月7日に、ハインリヒ・ハラーが故郷のオーストリアで逝去されました。
記事はこちら(共同通信の記事を四国新聞が転載してます)。
1939年夏に、ナンガパルバット遠征中に英国がドイツに宣戦布告したことにより、敵国人となってしまったため、インドに抑留。その収容所を脱走して、チベットに向かい、1944年からの7年間のチベット滞在体験を記録したのが”セブン・イヤーズ・イン・チベットーチベットの7年”で、それを基に、97年にはブラッド・ピット主演で映画にもなりました。
逝去の記事を報道したのはオーストリア・ウイーン発のAP電で”Mountaineer, ex-Nazi Heinrich Harrer of Seven Years in Tibet fame dies at 93”となっており、記事も過去のナチスの親衛隊との関係に大きな比重が割かれており、やはりいまだに重い課題なんでしょうか。ハラーは過去ナチスに所属したことは”とんでもなく不快な思い出”、と語っています。
そもそも、当時英国領のインドの収容所からチベットを目指したのも、むろん登山家としてチベットに惹かれたことが大きいが、その後、ビルマか中国の日本軍の前線にたどり着こうと考えていたとあります。(角川文庫版P17)
過去はどうであれ、その後もチベットの友人として、ラサ滞在以来、ダライ・ラマ法王との親交を保ち続けたようです。
故郷の街に作ったharrer Museumのサイト(英語)。博物館の周りには”Lingkor”なるチベット仏教の巡礼路の再現まであるそうで(下の写真)。
あとは、ハラーがチベット滞在中に撮影した写真集のサイトはこちら。
2006.01.06
冬のラサ
正月休みはラサ行ってきました。
チベットといえば、高地にあり、冬はとんでもなく寒いんでしょ、やっぱり春から秋がいいんじゃないの、冬は論外、ってあたりかもしれませんが、そうでもないかと。
気温は最高気温12度で最低マイナス6度ってところ。日中はダウンジャケット+ウールの靴下で十分快適。ただし、日が暮れると急速に寒くなります。が、別に夜遊びするところがあるわけじゃないので、ホテルで寝るしかありません。
で、3000kmくらい東にある北京と時間が同じため、実質2時間時差があります。朝明るくなるのが大体8:30から9時頃。暗くなるのが夜7時から7:30頃。
なんといっても冬のチベットの魅力は押し寄せるチベット人巡礼で、ラサが宗教都市であることが実感できることでしょうね。冬は農閑期であり(遊牧も草がないから休業でしょうが、”農”閑期に相当するコトバがわかりませんが・・・・)、じゃ、巡礼に行こう、ついでに商売でもしてくるか、ということでラサにチベット各地から来ることになるわけです。
日本でも、江戸時代には農閑期に全国から農民が伊勢神宮に”お伊勢まいり”で殺到したみたいなものでしょうか。(参考として例えばこちら。)
で、実際に写真でみてみるとこんなところです。ジョカン(大昭寺)の前で五体投地をする人の数をご覧ください。
左が先週というか05年12月末の風景。右が02年夏の風景(写真は手持ちでなかったので、こちらから借りてきました)
科学的に厳密に”他の条件を同一にして比較”というわけじゃありませんが、雰囲気はわかるかと。
ちなみに、五体投地する人の床に敷くクッションですが、レンタルクッション屋がいて、朝来て、巡礼の人に貸し出して、夕方回収にくるんだとか。
現在、春から秋は漢人観光客があふれかえっており、ポタラ宮ではやむなく入場制限なんてやってますが、冬は漢人観光客はほとんどいません。大体、チベットに観光に来るような漢人は暖かい沿海部の人が多いみたいですが、そういう人たちにとってマイナス10度なんて気温は想像ができないこともあり、冬にラサ観光なんて全く考えもつかないようで。
ということで、冬こそ、ラサがもっともチベットらしさを取り戻す季節ということかもしれません。天気も快晴続きでした。
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