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2008.03.30

チベットの情勢緊迫(その23)

30日に開催されたチベット自治区の人民代表大会常務委員会で、メンバー43人のうち、15人が「病気」を口実に欠席という話です。

人民代表大会は要するに自治区の県議会みたいなものでメンバー約400人だそうです。
そのうちの常務委員会はその議員のなかでの「特にエラい人」ということで選ばれた43人で、代表大会は年1回しか開催されないけど、それ以外の時期はこの人たちがOkというとそれが「自治区議会の決定だ」となる、それだけの権限がある人たちです。

この会議では「チベット自治区第9期人民代表大会によるダライ集団によるきわめて少数の分裂主義分子による殴打、破壊、略奪、放火の罪悪行為を強く譴責し、祖国の統一を堅く擁護し、分裂破壊活動に反対し、社会の調和と安定を促進する決議」というのが議題だったようで、それに積極的に賛成を表明したくない委員が仮病を使って欠席したのかもということかと。ちなみに今年1月に開催された会議だと、病欠は1人だけでした。

チベット日報の原文はこちら

読売新聞サイトの記事はこちら。

チベット自治区政府、民族行政の責任者を解任

【北京=杉山祐之】30日の中国チベット自治区共産党委員会機関紙・チベット日報(電子版)によると、自治区人民代表大会常務委員会は29日、自治区政府の民族行政の責任者であるダンゾン・ランジェ民族宗教事務委員会主任を解任した。

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 チベット暴動の発生、拡大の責任を問われた可能性がある。

 常務委はまた、祖国統一の維持、破壊活動への反対、社会安定の促進を目指す決議を採択、「ダライ・ラマ一派との政治闘争」を戦い抜く姿勢を強調した。

 ただ、同紙によると、自治区常務委メンバー43人のうち、3分の1以上の15人が「病気」などを理由に欠席したといい、常務委の強硬姿勢に異論が出ている可能性もある。

(2008年3月30日20時09分  読売新聞)

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チベットの情勢緊迫(その22)

○3月29日
最近は(少なくとも表面上は)平静が続いていたラサで、数百人規模のデモが発生との情報。
場所はラサの北京中路(郵便局の側。ポタラ宮の足元近く)で、治安部隊が即刻ラモチェ(小昭寺)、ジョカン(大昭寺)、およびバルコルなどを封鎖とのこと。
おりしも、この日は北京駐在の外交団(日本、アメリカ、EU等)のラサ視察が行われており、それにあわせてのものかと推察 (RFA 3/29

また、同時にラサの中国移動電話(携帯電話)のラサ分社から、ユーザーにメールで、「29日の午後、ラサ市の法執行部門が通常のチェックを行っている際に、露天商が逃げ出したり、真相が不明なるも群集がパニックを起こして走り回った。目下ラサ市の社会秩序に異常はなく、市民は、軽々しくデマを信じず、安心して生産活動と生活を送ってください。いけないことははっきりさせ、法紀に従い、法規を守り、デマを発生させず、デマを信じず、デマを他人に伝えないように。デマを作ったり、人に伝えたり、人心を惑わしたり、社会秩序を乱し社会の安定を破壊する違法な犯罪行為は厳しく攻撃する」との伝達ありとのこと(原文はWoeser's Blog こちら)..

多分、ラサ市内の携帯に、このようなメールが一斉に送信されているものかと思われます。

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チベットの情勢緊迫(その21)

3月29日

○ダライ・ラマ法王がインドで会見。ラサの騒乱では中国人がチベット僧侶の格好をして騒乱に参加していたとの見解を示す。

インドのTimes of Indiaの”China Staging Violence in Tibet"(3/30)では、
「普通の人には、僧侶の格好をした兵隊は僧侶のようにみえる。しかし、私たちは画像を注意深くみて、彼らは僧侶ではないとわかった。また、刀剣を持っているチベット人の写真ではそれは中国の刀剣であった。彼らはみなチベット人の格好をした中国人のようだ」
とのこと。

同時に、ネットでは中国人兵士(武装警察?)がチベットの僧衣をもって集合している写真が流れてます。Chinesesoldiersposingriotmonks1

多分、大元のネタもとはこちら

だけど、これは今回の騒乱のものではなさそうで、2003年のチベット人権民主化センター(TCHRD)の年次報告書に掲載されているものとの説明もあり。

で、TCHRDのサイトでみてみたけど、この写真と同じものは探し出せませんでした。

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2008.03.27

チベットの情勢緊迫(その20)

○3月26日

中国側が一部外国メディアのラサ取材ツアーを実施。日本からは共同通信が参加。
他は米国はウオールストリートジャーナル、USA Today、英国はFinaincial Times、韓国のKBS、あとはアルジャジーラとかも。

共同通信サイトから↓記事はこちら

外国メディア、ラサ入り   被害施設や当局者ら取材

【ラサ(中国チベット自治区)26日共同】チベット民族による大規模な暴動が起きた中国チベット自治区ラサに26日、共同通信など一部外国メディアの北京 駐在記者が入った。中国外務省と自治区政府の手配による取材で、14日の暴動後、日本人記者がラサ入りするのは初めて。

外国メディアだともっと詳しい記事があり。
Financial Times "Lhasa riots leave city riven by hatred"
こちら写真あり。
・あからさまな監視がないなか、自由に街を歩くことができた。だが、今回の騒乱についてオープンに話すチベット人はほとんどいない。
・ラサの街でチベット人が住む旧市街は武装警察や軍隊がまだ多くいて、通行人の身分証確認などをしている。

AP通信 "Foreign Reporter Watched on Lhasa Tour" こちら
こちらはあからさまに記者に尾行がついて監視されている!という記事。
街にでて、タクシーに乗ったが、あとで運転手に政府当局者が色々聞いてた、とか。

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2008.03.26

チベットの情勢緊迫(その19)

○3月20日

アメリカのNewsweekにFears and Tears(恐れと涙)と題したダライ・ラマ法王へのインタビューが掲載。原文はこちら。3/26発売の日本語版にも翻訳が掲載されているかもしれません。

ダライ・ラマ法王の今回の事態に対する見解や中国政府に対する意見が総合的にまとまっているので必見。

ポイントを。

(ニューズウィーク:NW)あなたは中国政府は、あなたが亡くなってしまえばチベットの問題は消え去ってしまうと望んでいると思うか。

(ダライ・ラマ:DL)判らない。ダライ・ラマの地位にある者が亡くなったあとにはチベットの揉め事はなくなり、チベットには希望がないとの見方には完全に反対する。チベットの内外で古い世代はいなくなるだろうが、新たな世代がその精神を持ち続け、時にはより強まるだろう。

(NW)中国の温家宝総理がこの部屋にいて、あなたの目の前にいたら何を言うか。

(DL)私はいつも鄧小平のことばを引いている。事実から真実をみつけよ(”事実求是”)と。彼らにはチベット人の心の中で、また現実で何が起こっているのかを見つけよと強く言いたい。もちろん、私は鄧小平氏も温家宝氏にも尊敬の念を抱いている。特に温家宝氏には。とても温厚そうにみえる。私は彼に「ダライ・ラマが最近のチベット暴動をけしかけていると非難しているが、その証拠をみせてください」といいたいね(笑)。

(NW)携帯電話、デジタルカメラ、電子メールのような新しい技術が政府当局にとって騒乱を統制するのが難しくさせているのか

(DL)そうだね。

(NW)統制は不可能なのか

(DL)政府当局はそれらを使えなくすることで統制を図ろうとしているが、全てを統制するのは難しい。

(NW)現在発生していることと、80年代後半のラサでの混乱と違いがあるか。

(DL)当時は主にラサ地域であったが、他の地域でもそのようなことが起こっている。でもそれは主にチベット人の怒りの現われなのだ。現在、中国地域の(注:チベット自治区以外の四川省、青海省、甘粛省のことでしょう)チベット僧侶もチベット国旗を掲げている。これにはとても驚いた。いまや、チベット人全てが強い気持ちを抱いている。もし中国r当局がチベット人を兄弟や姉妹のように、そして対等に扱い、信頼していたなら、このようなことは起こらなかっただろう。

(NW)あなたが亡くなったあと、暴力が大きくなることを心配していないか。

(DL)そう。心配している。私が命ある限り、チベット人と中国人の友好に取組んでいく。そうでなければ意味がない。もっと重要なことはチベット仏教文化の伝統が,道徳が欠如した状態にある中国人の若い世代により深い価値を与えていくことができることだ。なんにせよ、中国は伝統的には仏教国であるし。

(NW)中国側があなたの誠意を示してほしいとすることについて。温家宝総理は対話に入る前に、あなたがチベットの独立と暴力を放棄することを条件として望んでいるが。

(DL)昨年、米国でチベットが将来も中国から分離しないことを私に保障してほしいと中国人の学者に頼まれた。私はこう答えた。自分の声明や署名は役にたたない、本当の保障はチベット人が満足することだと。中国の一部であればよいことだとチベット人が徐々にではあれ感じていかなければならない。

 中国政府は私に何世紀にわたりチベットは中国の一部だったと言うことを求めている。私がそういっても多くの人はただ笑うだけだろう。そして私が声明を出しても過去は変えられない。歴史は歴史だ。

 だから、私のアプローチは過去を語ってはならないということだ。過去は過去。チベットが中国の一部だったかそうでないかを語るのは適当でない。私は新たな現実が生まれたと堅く信じている。時代はかわったのだ。今日、ひとつの考え方のもとで、多くの民族や国家がひとつになっている。EUをみてごらん。すごいことだ。小さな国家が争って何がいいことがあるのか。現在、チベット人にとっては中国と一緒になることはよりよいことだ。これは私が堅く信じていることだ。

(NW)最近の暴動の犠牲者の写真はとても生々しく心が痛む。あなたはみているか。同思うか。あなたは涙をこぼしたと聞いているが。

(DL)そう、一度は泣いてしまった。チベット仏教文化にいる者にとってよいことは、知のレベル(intellectual level)では多くのとまどいや不安や心配があるが、より深い意識のレベル(emotional level)では平安があることだ。毎夜仏教の修行で私はgive and takeを行っている。私は中国の疑念を受け入れ、信頼と慈悲を与える。中国側の否定的な気持ちを受け入れ、前向きの気持ちを与える。私はこれを毎日行っている。この修行で、意識のレベルではとても安定し乱れることはない。ここ数日心配と不安は多いが、眠れないということは全くないね(笑)。

(続く)

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2008.03.24

チベットの情勢緊迫(その18)

3月19日

○騒乱の最中、ラサに滞在して現地レポートを送り続けていた英国のThe Economistの記者James Miles氏がラサを離れて北京へ帰還。これまでの記事はこちらでも掲載してます。
北京でCNNがインタビュー。長文ですが、ポイントだけ。原文はこちら。

・ラサを離れた理由は当初得ていたチベットの滞在許可証が12日から19日までだったため。延長を申請したがきっぱり断られた。
・ラサからおいだされなかったのは、北京オリンピックをひかえて、開かれた中国をアピールしないといけないとの考慮もあったためかと推測。
・騒乱の最初の段階では数時間もの間、政府当局は何もしていなかった。まるでどのように事態を処理するかの判断がつかず、体が動かない状態みたいだった。これもオリンピックが一因かと推察している。
・ダライ・ラマが今回の事態の背後にいたかといわれれば、何ら組織立った動きは見られず、また、何か組織が動かしているとの印象もなかった。1989年の天安門事件の際には民主化促進の自主的な組織がいくつもできて、それが参加していたが、そのようなものは今回のラサでは見られなかった。ダライ・ラマを非難するのはいつもの政治的なレトリック。 

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2008.03.23

チベットの情勢緊迫(その17)

3月19日
○中国国営の新華社通信が初めて、甘粛省、四川省に騒乱が発生していることを報道。

3月20日
○新華社が16日の四川省アバでの騒乱の際に、治安部隊が「自衛のため」に発砲したと、初めて抗議行動に対する発砲を認める。

○また、RFA(3/20)によれば。
・ラサでは実際に外出禁止令が引かれており、逮捕を恐れて何も言わないようにしているとのこと。
・携帯電話は使用が停止されており、発信音がでない。
・身分証明書を持たない者を全て逮捕しているが、多くはそのようなものを持たない遊牧民で、ラサの刑務所はもう満杯である。

・四川省のアバでは公安が各家を捜索し、ダライ・ラマの写真や政治的に問題がありそうな物品や書類を押収している。そのようなものを持っていた者に対してはオリンピックが終わるまで拘留され、それから裁判が始まると告げられている。

・青海省のジェクンド(玉樹チベット族自治州)では400人の学生が中国国旗を引きづりおろして火をつけたが、治安部隊が学生を包囲し、問題を起こした者に対しては誰であれ発砲するとの命令をうけていると警告。

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チベットのx情勢緊迫(その16)

3月18日

○ダライ・ラマ法王がインドにて記者会見。

読売新聞サイトから。「ダライ・ラマ法王退任示唆」 記事はこちら
【ニューデリー=永田和男】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(72)は18日、亡命政府の置かれるインド北部ダラムサラで記者会見し、チ ベット自治区で起きた暴動について、「事態が手に負えなくなれば、私には、完全に退任するしか選択肢がない」と述べ、亡命政府の指導的立場から退く考えを 示した。

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 ダライ・ラマは、亡命政府で「国家元首」に位置づけられ、中国への非暴力抵抗運動と対話路線を主導してきた。実際に退 任すれば、中国からの完全独立を主張する強硬派が台頭し、さらに大規模な衝突につながる恐れもある。退任の示唆により、中国側と、対話路線に不満を強める 亡命チベット人社会の双方をけん制したと見られる。

 記者会見でダライ・ラマは「暴力は自殺行為だ」と述べ、チベット人側に非暴力の重要性を強調。また、「我々(亡命政府)が中国統治下にあるチベット人に、ああしろこうしろと言えない」と、対話で解決を探る責任が中国側にもあると指摘した。

 また、ダライ・ラマは、「独立要求は論外だ」と述べ、「高度の自治」達成によるチベット問題解決を目指す「中道のアプローチ」に理解を求めた。自 身が提唱してきた、この路線に対しては、亡命チベット人の間で、「成果がなく不毛」とする不満が、特に暴動発生後、目立ってきている。

(2008年3月18日23時29分  読売新聞)

この「完全引退」については、事後に法王のテンジン・タクラ秘書官が解説をしており、
・”もしも政治的目的のために暴力を使うことを選択するのならば、ダライ・ラマは運動を主導することができないという意味である。
・彼は、ダライ・ラマという地位を引退することはできない。死ぬまでダライ・ラマである。

また、これを受けて亡命政府の解説では、ダライ・ラマの3つの役割についても解説してます。
・まず第一に一人の人間として、慈悲(compassion)、寛容(foregiveness)、寛恕(tolerance)、心の平安(contentment)や自制(self-discipline)といったことの価値をより広めていくことに取組んでいる。
・第2に宗教者として、宗教間の調和や理解に取り組んでいる。
・第3にチベット問題への取組で、チベット人の正義のためのたたかいに関して自由な立場からの代弁者として行動する責任を有している。
 この第3の立場については、チベット人と中国人の間でお互いに有益な解決策が得られれば、もう必要がなくなる。
・ダライ・ラマ法王は最後に息を引きとる瞬間まで、第1と第2の取組みを続けていく。
(出典:BBC, Can the Dalai Lama resign?)

また、ここで「完全に引退」といわれていることについて、実際のインタビューを聞くと
「私は1987年(注:この年の10月に1959年のダライ・ラマ亡命以来最初の民族暴動がラサで発生した)にインタビューを受け、”もし暴力がどうしようもなくなったら、あなたはどうするつもりか”と聞かれ、そのときに、私は、”もし暴力がどうしようもなくなったら、私の唯一の選択肢は完全に引退することだ”と答えた」となっており、20年間変わらない立場であることを言っておられます。

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2008.03.22

チベットの情勢緊迫(その15)

3月18日

○甘粛省夏河県のBoraでの抗議活動がカナダのTVにより撮影。この映像は日本のTVをはじめ各国のTVでも放映されたものかと。

内容をかいつまんで。

一部は馬に乗り、一部は歩きで1000人以上がが参加し、独立を自由を求める抗議活動が発生。政府庁舎に押し寄せたものの、警官隊が催涙弾を発射。その後群集は学校に行き、中国の国旗を引きずりおろして、チベットの国旗を揚げた。ダライ・ラマは非暴力を訴えるが、若い世代にはもう非暴力を信頼せず、ゲリラ的な独立運動を行おうとしている者もいる。

○この日は全国人民代表大会が閉幕し、温家宝総理の内外記者会見が開催。
会見全部で13問質問がでたが、うち5問がチベット関係。全文はこちら
毎日新聞のまとめた会見要旨はこちら

○四川省甘孜チベット自治州のカンゼで抗議活動発生の情報(RFA 3/18

 

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チベットの情勢緊迫(その14)

21日付けの東京新聞から。
この記事を書いた平岩記者は、18日には四川省アバから記事を配信してて、20日には青海省まで移動してます。どういうルートでどうやって移動してるのか、気になるところで。
ランクル貸切でしょうか。それとも一旦成都に戻り、飛行機か何かで西寧まで行ったのか。

生家封鎖『写真撮るな』

 Pk2008032102197069_size0 【平安(中国青海省)=平岩勇司】中国のチベット政策に反発する暴動が起きて以降、青海省平安県にあるダライ・ラマ十四世の生家が警官に封鎖され ている。都市から離れた生家が抗議行動の拠点になるとは考えにくいが中国当局は、あらゆる可能性を排除する厳しい姿勢でのぞんでいる。

 青海省西寧から車で約四時間の平安県紅崖(タクツェル)村にある生家は三千メートル級の山々に囲まれ周囲に小集落が散在。最近までダライ・ラマの親族が住んでおりチベット仏教をめぐる観光地の一つとなっていた。

 チベット自治区で暴動が起きて以降の十五日ごろから警官約十人が生家前の商店に陣取り、出入りを禁止。親族が外国メディアなどと接触することを警戒した措置とみられる。

 二十日に現地を訪れた記者に警官は「青海省の規則で立ち入りはできない。写真も撮るな」と威圧。どんな規則かの説明はない。生家については「誰も 住んでいない」と繰り返すだけ。生家の住人の所在を聞いても答えない。ダライ・ラマが生まれた部屋は堂になり大きな仏像があるというが様子は見られなかっ た。

 周囲の村民は取材に対し「何も言えない」と警戒。ある男性は「中国のやり方は憎しみを増すだけだ」と小声で述べ、記者に「トゥジェチェ(ありがとう)」とチベット語でささやいた。

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2008.03.20

08年3月期のチベット関係TV

連日チベット情勢のニュースが流れてますが、それ以外の番組てことで。

3月21日(金) 21:15~23:37 フジテレビ
「地球デイプロジェクト グレートジャーニースペシャル 日本人の来た道ヒマラヤ~日本15000キロ」
番組サイトはこちら。チベット関連部分としては↓

■ブータン
ブータンは世界で唯一、チベット仏教を国教とする王国。食べ物や文化が日本に共通するものが多い。納豆のようなリビイッパ、着物にそっ くりな民族衣装、そして、国王が徹底的な環境保護政策を打ち出していて原生林が保たれている。また、「国民総幸福度」という考えを打ち出し、国民の信頼も 厚い。

■チベットの少女 ペーマ・ツォ
関野はチベット高原で足に腫瘍ができている少女に出会った。小学校で1番成績がよかったの だが、足が痛くて何もできない。少女は両親が早く亡くなり、貧しい暮らしを余儀なくされている。悪性の腫瘍、骨肉腫であれば早く手術をしないと危険なのだ が大平原の真っただ中、医者の関野にもなす術がなかった。骨肉腫であれば転移が心配。早く何とかしないと危険だ。旅を続ける関野は彼女のことが気になって いた…。

3/22(土)19:00-21:00 BS朝日
「雲南・秘境の旅 世界遺産麗江、樹齢3200年の茶樹を訪ねて」
番組サイトはこちら。

3/25日(火) 10:30~11:25  テレビ朝日 
「地球危機2008 ヒマラヤ氷河が消える異常気象」
番組サイトはこちら

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チベットの情勢緊迫(その13)

最近の日本の新聞の報道から。

東京新聞は四川省や雲南省まで記者が行ってますが、日本国内のチベット人の記事もあり。
毎日新聞では、在日チベット人の思いに焦点を当てた記事あり。
やはりこれまでチベットネタというと毎日新聞てのが業界関係ではありまして(笑)。

遠いどこかの国の話じゃなくて、ひょっとしたら近くに心を痛めている人がいるのかも、と思わせる記事でした。

3月19日付の朝刊から。

「チベット暴動:故郷の町は、私の家族は 胸痛める在日チベット人」

◇日本から通じた電話、でもすぐ切れた…

 中国チベット自治区で起きた大規模な民族暴動。「たくさんの人が亡くなった。どうして……」。17日、日本から中国に住むチベット人の母親にようやくつながった電話は、こう言って現地の混乱と悲しみを伝える途中で切れてしまった--。

 日本で暮らすチベット人は推定で約60人。「無国籍」の亡命1世、亡命政府があるインドで生まれた2世ら立場はさまざまだが、現地から届く報道に胸を痛めている。

 チベット人女性の一人は、暴動の一報が日本に届くと何度も故郷に国際電話を掛け、17日朝、ようやく70代の母と話ができた。しかし母が死者が出ていることを告げ、悲しい、悲しいと繰り返すうち、電話は切れた。声を聞けたのは一瞬だった。

 故郷の小さな町まで混乱が広がっていることを母との電話で知り、ショックで夜まで食事がのどを通らなかった。日本で抗議活動に加わるつもりはないが「命を落とさず解決できなかったのか」との思いは消えない。「平和を呼び掛けたい」と声を振り絞った。

 「いろいろ考えてしまい、全然眠れないよ」。青海省出身で、19歳の時にヒマラヤを徒歩で越えて亡命し、インドでの難民生活を経て日本人と結婚し て日本で暮らす男性は、疲れた表情を見せた。「青海省にいる家族を考えると抗議に参加できない。ただ現地で逮捕された人たちがどんな扱いを受けるか考える と……。ダライ・ラマが築いた非暴力主義は守るべきだ」と語った。

 16日の東京・代々木公園。日本人支援者70人のほか、在日チベット人約30人も参加して抗議集会が開かれた。チベット人の間で「国旗」とされて いる山や獅子をデザイン化した旗を掲げ、抗議文を読み上げた。集会に参加した30代のチベット人男性は、結婚して日本国籍を得た。両親は中国にいる。だが 電話はしていない。「全部盗聴されている。外国から電話があったというだけで“反政府分子”の疑いをかけられるから」と話す。【藤田祐子】

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チベットの情勢緊迫(その12)

(承前)

東京新聞ですが、北京の駐在記者がチベット文化圏で取材中。19日付けの四川省アバ県のレポートに続いて、3/20朝刊には「飛び火警戒 チベット“封鎖” 雲南ルポ 警察、移動を制限」が掲載。

目下、今回のチベットの情勢緊迫を受けての取材活動については、中国側の厳しい制限があるようですが、とにかく気をつけて取材を続けていただきたいと思います。

【ディチンチベット族自治州(中国雲南省)=小坂井文彦】「暴動以来、チベット自治区は閉ざされている。この先へは行けない-」。チベット自治区と雲南省のチベット族自治州を結ぶ幹線道路では十九日、警察が検問を行い、交通を遮断していた。ラサでは僧侶らの摘発が続いており、情報封鎖のためか、外部からチベット自治区への流入者に目を光らせている。Pk2008032002196853

 チベット民族が人口の三分の一を占める同自治州は、文化、経済的にチベット自治区とつながりが深く、人の往来も活発だ。景勝地シャングリラ県の女性は「チベット自治区を脱出しようとした親せきが、ラサから約百キロ先で武装警察に止められた」と打ち明けた。街ごとに検問所が置かれ、「住民の移動は厳しく制限されている」という。

 シャングリラとラサ間の飛行機は欠航し、バス路線も止まったままだ。チベット自治区を目指して車で走ると、何度も検問に遭った。出会ったトラック運転手は「連行されるぞ。記者と名乗っては駄目だ」と耳打ちしてくれた。

 同自治区まで約百キロのデーチン県で「この先は外国人は行けない」と警官に制止された。「暴動があったのか」と近くの男性に尋ねると「何も起きていないよ」。だが、明らかに気が立って緊張した表情だ。

 十四日のラサの暴動以降、武装警官約二千人がシャングリラに派遣された。チベット自治区で起きた暴動が自治州に波及することを強く警戒している。体育館などに宿営し、時折、街を巡回して住民を威圧している。

 シャングリラに住むチベット人男性(22)は「暴動が波及したら、すぐに鎮圧する気だ。ダライ・ラマ十四世が暴動を起こしたという政府の説明はうそだ。だから、漢民族は信用できない」と吐き捨てた。

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チベットの情勢緊迫(その11)

3月10日にラサでの抗議活動から始まり、広範にチベット文化圏全域(現時点で確認されたところでは青海省、甘粛省、四川省)に広まった今回の事態について。

新聞は連日一面に掲載という日々ですが、やはり注目は最近は東京新聞ですね。

3月19日付朝刊は「生活道に兵士満載トラック 『アバは戦場だった』 チベット自治州ルポ」ということで、

【アバ・チベット族チャン族自治州(中国四川省)=平岩勇司】中国のチベット政策をめぐる暴動で、多数の死傷者が出たというアバ県がある自治州に十八日、入った。抗議行動はアバ県の近隣にも拡大。人民解放軍の部隊が次々と投入され、民衆を威圧するように一帯に展開している。Pk2008031902196559_size0

 「ちょっと、車に入ってくれ」。ここは、成都から約二百キロ北西にある自治州南部の理県。アバ県から帰ってきたという運転手は、状況を尋ねる記者を車内に招き入れ、「アバは戦場だった」と小声で語る。

 「民衆は役所に投石して商店や車に火を付け、中国国旗を引き裂いた。警察の発砲でリーダーの僧侶数人が射殺され、警察官も何人か死んだ」

 アバ県では十六日、チベット仏教僧侶や民衆数千人が「チベット独立」「ダライ・ラマ十四世帰還」などと叫び、県庁舎を包囲。治安当局は催涙弾を放ったが、民衆らを解散させられず、発砲に踏み切ったようだ。自治州北部ではアバ県以外に紅原県、マールカン県など五カ所以上へ抗議行動が広がっている。

 理県から北上し、二千メートル級の山々に挟まれた川沿いの道を走る。太陽の光が清流に反射する景観は、神々しさすら感じる。しかし、走るのは軍用車両ばかり。自動小銃や盾を携えた兵士を満載したトラックと装甲車約八十台が、一般車両を停車させ、わが物顔で通り過ぎた。アバの市街地では主要道路に軍隊や装甲車が展開し、戒厳令さながらと伝えられている。

 途中の集落で会ったチベット民族衣装の女性は「暴動は共産党の腐敗に対する不満が爆発したのさ」と吐き捨てた。共産党地方幹部は、食糧補助費や教育助成金を着服し、民衆の生活を踏みにじっているという。「中央が腐敗防止のラッパを鳴らしても地方には届かない」。ラサでの暴動を携帯電話などで知り、怒りに火が付いた。

 自治州の政府庁舎があるマールカン県の手前の検問では、自動小銃を持った警察官が「交通規制のため、地元住民以外は一切進入できない」とさえぎった。記者が「なぜ交通規制で自動小銃が必要なんだ。暴動が起きているはずだ」と尋ねると、「日本の警察も自動小銃ぐらい持っているだろう。理由を言う必要はない」とぞんざいに答え、記者らを追い返した。

(続く)

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チベットの情勢緊迫(その10)

【19日のエントリーに加筆修正しました】

3月17日
○英国 The Economistの記者によるラサ現地レポートが同紙サイトに掲載。
Lhasa under siege"。あえて訳すと”沈黙のラサ”ってあたりでしょうか。

(追記・The EconomistのサイトではLhasa under siegeとのタイトルは同じですが、内容は改訂されてます。この記事で引用したものは上記のリンク先で保存されてます)

写真もあり。こちら

ポイントは
・3月16日にはラサのチベット人居住区において政府当局が支配を取り戻した。ライフルを持ち、ヘルメットをかぶった部隊が狭い道をパトロールしており、時折発砲している。住民は怖がって家の中にいる。

・治安部隊は今のところ、比較的抑制された態度で行動はしている。14日と15日の暴動でどれだけの数の流血があったのか、よくは判らないが、17日の政府による自首の期限が近づくにつれ、広範かつ無差別の逮捕が行われることを懸念する向きもある。

・14日には数時間の暴動があり、夜にはチベット人居住地域に治安部隊の一団が展開した。翌日、わずかに無傷で残っていた漢民族所有の店を攻撃する者もいた。

・しかし治安部隊(武装警察の防暴部隊が主力のようだった)が存在感を増すと、暴動は沈静化した。最初は銃をもっていない部隊に対して投石する者もいたが、催涙弾が時折発射されると急いで消えていった。15日には銃を持った部隊が裏通りにまで来て、時折発射した。

・夜になると、多くの人たちが屋上にいるようになった。これはラサのモスクの周辺で放火をしたことへの報復として、回族(イスラム教徒)がチベット人を襲撃する準備をしているとのウワサが流れたことからである。攻撃に備えて石を準備した者もいたが、軍隊が回族居住地域を封鎖したとの新たな噂が流れて、緊張感は静まった。

・16日には当局は街を制圧下においた。銃声が時折聞こえてくる。いつもはにぎやかなラサの街ではあるが住民は表には出ようとはしなかった。

・治安関係の措置が有効であることについて政府側が自信を取り戻した現れとして、記者がいるホテルに政府の外事弁公室(対外関係を所管)の職員2人がきて、もし必要であればラサを出る飛行機のチケットを取る手伝いをすると申し出てきたが、ラサを出るように命じることはなかった。

・ラサでは、政府当局は5月に予定されているオリンピックの聖火リレーをチベット人が妨害するのではないかと懸念している。もし聖火リレーが取りやめになったり、軍隊が街にあふれるような状況のなかで実施せざるを得ないとなれば大変厄介なことになるが、それを避けることも難しいだろう。中国としては西側政府がオリンピックをボイコットするようにとのチベット支援者からの要求には反対することに望みをかけている。この点については中国は心配はしていない。

○上記のThe Economistの記者はラサに引き続きいるようですが、同時に「国境なき記者団」の3/17発表では約15人の香港のメディアの記者がラサから「不法な取材」をしたとして、無理矢理空港につれていかれ、成都行きの飛行機にのせられた、その際コンピューターのなかのビデオ画像などを探された、とのこと。原文はこちら

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2008.03.18

チベットの情勢緊迫(その9)

3月16日
○ダライ・ラマ法王がインド・ダラムサラで会見。

毎日新聞サイトから 「チベット:ダライ・ラマ「大虐殺」と中国非難」

【ニューデリー栗田慎一】チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世は16日、ダラムサラで暴動発生後初めて記者会見した。中国当局による鎮圧 行為を「大虐殺」と厳しく非難するとともに、「中国が私をスケープゴートにするなら、真相究明のため国際社会の調査を受ければよい」と述べ、中国側に国際 調査団の受け入れを求めた。

 ダライ・ラマは「自治区では(中国政府による)恐怖統治が続けられてきた」と明言し、チベット文化や民族性を破壊してきたとする中国政府の「同化政策」を改めて批判。暴動はこうした「差別的な対応」に起因するとの見方を示した。

 中国当局の鎮圧も「見せかけの平和を取り戻すために力を行使している」と非難。抗議デモは「怒りの表現」と理解を示す一方、「完全な非暴力と平和が私の原則」と述べ、中国国内のチベット人と中国当局の双方に自制を求めた。

 北京五輪への対応については「中国は五輪を開催する資格があるし、中国人は自信を感じていい」と述べた。暴動が北京五輪のボイコット運動に根ざしているとの指摘が中国側にあることから、批判をかわす狙いもあるとみられる

○これに加えて英国BBCが単独インタビューを実施。

「あなたがデモをやめろといえば、とまると思うか」

「判らない。チベット内部からそういう要請もあるし、やめるよう言わないでくれとも言われた。チベット内部から違う意見が聞こえてくる」、「私は半分引退した身であり、また完全に民主主義にコミットしている。私はチベット人の代弁者であって、支配者でも教師(master)でもない。あれは人々の運動であって、参加している人次第。彼らが何をしたとしても、私はそれに応じて行動せざるを得ない」

(日本語の同時通訳はかなり省略してますね)

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2008.03.17

チベットの情勢緊迫(その8)

最近のチベットをめぐる情勢について、ネットで流れた情報を中心に整理してます。

なお、今回の騒乱は89年3月にラサで戒厳令が引かれてから20年のうち最大のものといわれています。この80年代と今回の事態の比較について、iTibetサイトの「チベット情勢:80年代との比較を中心に がきわめて有益です。

今回の事態が落ち着いたら分析しようと思ってたことの多くが書かれてしまった・・・・。
以下は追加情報です。

3月15日
【ラサでの動き】

○午前中にチベット自治区党委員会緊急拡大常務委員会が開催。自治区党委員会書記の張慶黎(=チベット自治区で一番エラい人)が会議を主宰。中央統一戦線部、公安部、武装警察総部の副部長クラスおよび自治区の幹部が出席。分裂に反対し、安定を守る”人民戦争”と位置づけ。(3/17 西蔵新聞網)

【ラサ以外の地域での動き】 
○四川省カンゼチベット族自治州のタウで抗議行動発生の情報。即座に武装警察のトラック10台が現れたとのこと(RFA3/16

3月16日
【ラサでの動き】
武装警察がラサの中心部(チベット人居住地区)の全ての交差点を封鎖し、市民は家の中にいるしかなくなった。
 ラサの全ての家に対して、市政府当局がダライ・ラマの写真をもっていないか、また逃亡中の抗議活動参加者がいないかどうかの捜索を実施とのこと(同上)

○この日の午後、張慶黎党委員会書記が、ジョカン寺前の広場およびバルコルで武装警察隊員等を慰問(西蔵新聞網3/17

⇒この時点で一応騒乱状態は沈静化したものと思われます。何しろ自治区で一番エラい人が表に出られるということなので。

【ラサ以外の地域での動き】 

○甘粛省蘭州の西北民族大学でも、数百人のチベット人学生が校内で平和的デモ活動。自分たちの行動が平和的なものであり、中国当局に対して、ラサのチベット人弾圧をやめるように求めたとのこと(同上)

○甘粛省甘南チベット族自治州のマチュ県で1500人のチベット人がチベット独立やダライラマ万歳を唱えて平和的デモ行進を実施。大規模な武装警察および公安が参加者を制止。(TCHRD 3/16

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チベットの情勢緊迫(その7)

3月16日
【ラサ以外の地域の動き】

四川省アバ・チベット族羌族自治州のアバ県にあるキルティ寺(旅行人ノートp209)にて、朝の勤行が終わった直後に僧侶がチベット独立、ダライ・ラマのチベット帰還、チベットに自由をと叫んで抗議活動を開始。直後に武装警察が寺院になだれ込んで催涙弾を発射し、僧侶たちが外に出られないように封鎖。そのあと千人規模でのデモがあり、8人が死亡したとの情報もあり(TCHRD 記事はこちら

○青海省黄南チベット自治州のレコン(同仁)県のRong Gonchen寺で300人僧侶が香草を燃やすサンソルの祈祷(ダライ・ラマの長寿を祈願するもの)を行い、その後で県政府庁舎に向けて平和的デモを実施。一般人も参加した。しかし、程なく治安当局に阻まれ、武装警察が寺の周りを固めて、僧侶は外に出られない状態。(これもTCHRD 記事はこちら


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2008.03.16

チベットの情勢緊迫(その6)

3月16日

○ネットで見つけたラサの街中の様子です。Woeser's Blogから
もっと多数の写真が掲載されてます。こちら

002










そして、装甲車が走り回るラサの風景の最後に添えられた写真がこれでした。
何も言えません・・・・。011

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チベットの情勢緊迫(その5)

3月15日
【ラサ以外の地域での動き】
○3月14日に引き続き、甘粛省甘南チベット自治州夏河のラブラン寺(旅行人ノートp177)で、同日朝10時頃、新たなデモ。数千人が県政府庁舎に対して平和的デモを実施。ラブラン寺の僧侶が始めたが、後に一般人も参加。武装警察が催涙弾を発射したほか、夏河県公安局にデモ隊が接近した際には実弾を空中発射。

なお、チベット人運営のニュースサイトのphayul.comで携帯にて撮影されたビデオ映像が掲載されています。リンクはこちら080315

最初の”video”は政府庁舎をとりまいて気勢を上げる模様が、video2はチベット国旗(中国国内では禁止されているもの)を掲げたり、ダライ・ラマの写真(のように見えるが)を掲げたりして行進する人たちが写されています。このvideo2は時々黒い線が画面に入りますが、これは参加者の顔が映らないようにしたものと思われ。
また、叫んでいる言葉は"Bod Gyalo"かなと(チベットに勝利を、あたりでしょうか)

○また、四川省カンゼチベット自治州のリタン(旅行人ノートp248)、セルシュ(同書P245)のほか、チベット自治区のサムイエ(同書p84)でもデモ発生のウワサ(RFA 3/15

○日本政府も対応

産経新聞サイトから 原文はこちら

町村信孝官房長官は15日夜、チベット暴動をめぐり「かねてよりチベットの人権問題には関心を持っていた」とした上 で、「基本的には中国の国内問題とはいうものの、双方が自制して混乱が拡大しないことを望みたい」と述べ、チベット側とともに、中国政府の対応に懸念を表 明した。都内で記者団に述べた。政府高官がチベット問題で中国側に自制を求める発言をするのは異例。

 また同日夜、児玉和夫外務報道官は 「わが国は、中国チベット自治区ラサ市において、市民と当局の衝突により死傷者が出ている現在の状況につき、懸念し注視している。関係者の冷静な対応を求 め、今回の事態が早期に、平和裏に沈静化することを強く期待する」とする談話を発表した。

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チベットの情勢緊迫(その4)

これまでラサの情勢緊迫でしたが、抗議活動がラサを越えて、甘粛省や四川省のチベット文化圏にまで拡大したとのことで、タイトルも変更します。

3月15日

○この日の朝の中国中央電視台のニュースで、ラサのを情勢を初めて国内で報道。

時事通信のサイトから。サイトはこちら

2008/03/15-12:58 「暴徒が放火、略奪」と新華社=中国・中央テレビも映像-チベット   【北京15日時事】中国チベット自治区ラサで14日起きた抗議デモについて、国営新華社通信は15日、「暴徒が投石、放火、略奪を繰り返した」と伝えた。中国中央テレビも同日午前のニュースで、一部の人たちが窓ガラスを割ったり、投石したりする映像を初めて放送した。
 ラサ発の新華社電は、放火や略奪で多数の警官が重傷を負ったと報道。暴力行為の激しさを強調することで、中国当局の正当性をアピールする狙いがあるとみられる。

⇒なお、日本国内のニュース等で繰り返し使われた映像は中国中央電視台の国際放送のもの(CCTV4)。


○この日の英国BBCのニュースでは、中国国内に配信しているBBCのニュースについて、チベット関連部分については、突然画像が切れるという状況を報道

 ついでに、中国国内ではyoutubeが見られないとか、果てはLonely Planetの掲示板もアクセスブロックされてるらしいです。

○ラサに対して、外国人および中国人も入域を禁止する旨の報道。

時事通信のサイトから。記事はこちら

2008/03/15-13:46 チベットツアーを全面禁止=中国  
 【北京15日時事】中国の旅行会社は15日、ラサで大規模な暴動が起きたのを受け、チベット自治区へのツアーをやめるよう当局から指示されたことを明らかにした。外国人、中国人を問わず、チベット入りが当面禁じられるという。
 ツアー禁止は国家観光局から電話で伝えられ、「政治問題のため文書にしない」との説明があった。同局は「現在チベットにいる観光客も、できるだけ早く自治区外に出すように」とも要請したという。

実際、外国人のチベット入域許可証を発行するチベット自治区旅游局のサイトについても、15日時点では接続不能。

○アメリカ政府の補助金を受けている放送Radio Free Asiaの情報では:
・ラサの目撃者によれば、この日の朝早くに軍隊がラサ市内をパトロール。戦車もしくは装甲車が数百台展開され、群集に発砲した、
死者も80人はくだらないとの情報。
・別の証言によれば、ラモチェ寺(小昭寺)では、チベット人がダライ・ラマの写真を掲げ、チベット独立を叫んで走り回った。地元の警察が止めようとしたが、僧侶と若者が警官を攻撃し、「地元警察はそれ以上のことはしようとはせず、戦車に乗った軍隊が呼ばれた」とのこと。
・ガンデン寺では抗議のため、僧侶が焼身自殺を図ったとの情報も。
・ラサの人たちは自宅から出ないように警告を受けているとのこと。

○チベット自治区高級法院・人民検察・公安庁通告第一号発出
・3月17日24時までに自首すれば減刑するし、他の者の行為を話せば刑を免除することもある。
・犯罪を行った者をかくまった者は法により処罰される、等
原文はこちら

 

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ラサの情勢緊迫(その3)

続きです。

このサイトではチベット関連団体、各種報道等の情報で管理人が適宜整理して記録しています。
今回のラサの情勢についての背景については、”【2008年チベット動乱】よく聞かれる質問集”に簡潔にまとめられています。ご参考に。                

3月14日
【ラサの情勢(追加)】

○ラサに取材で滞在していた唯一の海外ジャーナリストとして、英国The EconomistのJames Milesの目撃レポート"Fire on the roof of the world"が同紙サイトに掲載。原文はこちらTibet


3/10あたりに何かあるかもということでラサにいたのでしょうか。一応、中国当局の正規の許可を得てラサ入りしていたとのこと。3/15の英国BBCのニュースにも電話取材を応じていたので、その時点までは携帯やメールは通じたのかも。現時点ではラサから出されたかと思いますが。(3/20追記:まだラサにいて記事を配信中。3/20付のエントリご参照)

今回の事態の背景について単に民族問題だけでなく、最近の物価上昇の影響(中国全体がそうですが)に対する不満もあること、また、暴動があっても何時間もの間、武装警察が何もしていなかったのではないかと指摘しています。

ポイントをまとめとくと、
・3月14日に反中国暴動が発生。治安当局の対応がはっきりしないため、暴徒(mobs)が何時間にもわたって街を占拠し、ほしいままに放火し略奪を行った。

・暴徒は、一部はチベットの伝統的ナイフを持った少人数の若者から女性や子供もいる数十人規模のものまであり、商店のシャッターを壊し、持っていけるものは皆持ち出した。小さな子供がおもちゃ屋に入って略奪していたかもしれない。が、多くの商品は通りに積み上げられて放火された。煙がラサの街を覆い、ポタラ宮がかすんで見えるほどであった。

・暴動の原因はまずは民族間の憎悪であろう。ここ数年、中国から出稼ぎがラサにあふれていた。また、食品や日用品の急激な価格上昇も大きな不満の原因である。ラサの人たちは青海ーチベット鉄道について、中国からの移民を増やすだろうとの目を向けていたが、鉄道ができれば(注:輸送コストも下がるなどで)物価が下がると政府から言われて、それでガマンはできるかと思ってきたが、実際に物価は上がり続けた(ただし、中国全体で物価が上がっているが)。

・ラサの人たちは、暴動に対して複雑な感情を抱いている。トイレットペーパーをロールごと通りに投げて、チベット伝統の祝福のスカーフ(カタ)に見立てる者もいるが、暴力に愕然としている者もいる。

・また暴動が広がったのは、治安当局に僧侶が殺され、殴られ、拘留されたとのウワサもあったからである。

・盾とヘルメットをつけた(だだし銃は見えなかった)治安警察がパトロールはしていたが、何時間もの間、暴動を止めようともしなかった。

・多くのラサ市民は、1989年の戒厳令のような統制が再度導入されることや治安部隊の大規模な展開がありうると考えている。


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ラサの情勢緊迫(その2)

この下のエントリーの続きです。

3月14日(続き)

【ラサ以外の地域での動き】

○甘粛省のチベット文化圏である夏河(サンチュ)のラブラン寺にて、抗議行動発生。

この日14時頃、ラブラン寺の僧侶50人が「チベット独立」を叫んでデモを実施。その後約08031406233305 600人の僧侶が参加し、さらに一般人数千人規模に膨れ上がる。これに対して警察は実弾を空中に発射し、県の公安局に押し寄せた群集を実力排除。(pyayul.com 3/14 記事はこちら)写真も借りてきました。

○今回の事態に対して、ダライ・ラマ法王が自身の公式サイトで記者発表を掲載。

原文はこちら。当方でざっと訳すと:

「私はここ数日間、ラサを含む多くのチベットの地域における平和的デモから展開した状況に対して深い憂慮を抱いています。これらの抗議活動は現在の体制(governance)に対して、チベット人が心の底から抱いてきた不満の表明です。

 私が常々言ってきたように、剥き出しの力がもたらす団結と安定はせいぜいのところ一時的な解決にすぎません。そのような支配のもとでの団結と安定を期待するのは現実的なものではなく、したがって平和的で永続的な解決策を見つけていくことは建設的でもありません。

 したがって、私は中国の指導者たちに暴力を使うのを止め、チベット人との対話を通じて、長きにわたり湧き上がってきたチベット人の不満を解決するよう求めます。また、私の同朋であるチベット人にも、暴力に訴えてはならないと強く求めます。」
(続く)

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2008.03.15

ラサの情勢緊迫(これまでのまとめ)

【改訂履歴】

3/15の11:30にオリジナル記事を掲載しました。

3/15 23:50 加筆  3/14の記述を追加しました。

既に大きく報道されているように、3月10日にラサでの僧侶によるデモ行進が行われ、それ以降連日の抗議行動、ひいてはラサ市内では治安部隊の投入や商店の焼き討ちなどに発展。1989年6月の天安門事件以降過去20年間で最大の騒動という見方も出ています。さらにはチベットで言えば1989年3月の戒厳令施行以来の最大の騒動でしょう。

さらに、今回の抗議行動については、ラサのみならず、チベット文化圏である青海省や甘肅省の寺院でも同時多発的に抗議活動が行われているというのも特徴かと。

ここでは、ネットで流れている各種情報を時系列的に整理しておきます。
一番参考にしたのはインド・ダラムサラにあるTibetan Centre for Human Rights and Democracy(TCHRD)の3月14日付記者発表です。原文はこちら

その他、アメリカ政府が補助金を出資しているRadio Free Asia(RFA)の情報も入れました。

随時情報を入れて改訂します(胸が痛むんで、やりたくはないけど・・・・)

3月10日

【ラサの動き】
○この日の夕方、ラサのデプン寺の僧侶約300人がラサのバルコルで平和デモ行進を計画したが、デプン寺からラサ市内に行く途中で多数の武装警察に阻まれ、指導者2,3人の僧侶が逮捕された模様。さらに、デプン寺の周辺には多数の武装警察官が配備された。

○15人の僧侶と2人の一般人が、バルコルの周りで平和的デモ行進を行い、チベット独立のスローガンを叫び、チベットの国旗を掲げ、パンフレットを配ったが、即座に公安に逮捕された。この僧侶はセラ寺に修行に来ていたカムやアムドの僧侶で、2人の一般人はカム出身らしい。

【その他地域の動き】
○青海省海南チベット自治州のマンラ(貴南)のルツァン寺(旅行人ノートチベット第4版だとP197)の僧侶137人と一般人200人が集会を行うとしたところ、政府により解散させられた。この後、「ダライ・ラマ万歳」、「ダライ・ラマはチベットに戻るべきだ」と叫ぶ騒ぎになった。

○青海省海東地区の化隆県(Bayan)のDitsa寺で、約70人の僧侶がダライ・ラマ法王の写真を掲げて、チベット独立のスローガンを叫び、サンソルの祈祷を実施。約400人の人が集まった。

○四川省カンゼチベット自治州のカンゼでチベット独立のパンフレットが街中に貼られた。

3月11日
○前日、セラ寺の僧侶がデモにより逮捕されたことに抗議するとともに、チベット独立を叫んで、セラ寺の僧侶数百人がデモ行進を行ったところ、2000人の中国武装警察が催涙弾を発射。

○武装警察がデプン寺およびセラ寺を封鎖。人の出入を禁止

○ラサ市政府は職員に対して、即座に業務に復帰することを命じるとともに、職場を離れることを禁止。チベット大学でも学生の移動を禁止。

○ガンデン寺でも抗議活動があり、同日午後から武装警察が寺院を封鎖。現時点(3/14)でも外部との連絡が取れず。

3月12日

○ラサの西郊外のチュゼン尼僧院の尼100人が平和的デモ行進をバルコルで行うが、武装警察に阻止され、寺に戻される。

○ラサ市の居民委員会(町内会管理機構、みたいなものです)は、チベット人居住地域の各家々を調べて、登録がない(ラサの寺院の在籍の登録がないということでしょうか)、僧侶や尼僧が不法に潜んでいないか、調べるよう指示された(RFA 3/12

○デプン寺の僧侶2人が絶望のあまり、自分の胸、手、手首を刺して自殺を図るとの情報また、セラ寺では、10日の抗議行動で逮捕された仲間の釈放を求めて、断食・不眠のハンガーストライキを行うとの情報(RFA 3/13)

3月13日

○中国外交部秦剛報道官は、外国メディアの今回のラサの騒乱についての質問に対して「ダライ・ラマ一派による計画的な政治的陰謀で、チベットを分離させ、チベット人の平穏で団結した日常生活を危険に陥れるもの」と非難。同時に、各寺院の民主管理員会が働いたおかげで、目下のラサの情勢は安定しているとも発言。どこがやねん!。(記事はこちら

3月14日

○ラサのラモチェ寺(小昭寺)でも抗議活動が行われ、武装警察が包囲し、人の出入を禁止。

○武装警察と僧侶および一般人が衝突(この時点で、これまで僧侶中心のデモが一般市民を巻き込んだ形で拡大との見方)。車両や店に放火。

○暴動は朝10時頃から始まり、夕方の早い時間にはラサの道路は通行できなくなり、建物の中で仕事をしていた人たちは出るに出られなくなってしまった。

 ラサのチベット人によれば、手にカタ(チベット伝統の白いスカーフ)を持ち、「チベットに自由を」と叫んで通りを走り、また、漢民族の店や中国に関係があるものは何でも放火し破壊した。この日の早い時間には警察も目立った動きを見せなかったこともあり、抗議活動がピークに「なった。

 また、ラサのある漢族によると、外出禁止令が13時に発せられ、大量の武装警察が動員された15:30頃には抗議活動は収束した。(RFA3/14 記事はこちら

○ラサ市民の間で水道に毒が投入されたとの噂が広がったため、ラサの水道会社がそのような事実はないと発表(連合早報ネット 記事はこちら)

○ネパールからラサに向かっていた西洋人旅行者によると、この日、ネパールから陸路でギャンツェまでは来たが、ガイドから、大規模な衝突や火災や死者発生のため、ラサには入れない、中国政府は全ての旅行代理店に対して、扱っている旅行者について、(既にラサにいる者が)ラサを離れないように、また(これから来る予定の者を)ラサに入れないように強制していると伝えられ、直接ラサの空港に向かうことにした、とのこと(Lonely Planetの掲示板。こちら

(続く。早く終わって欲しいけど・・・・)

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2008.03.06

【報道】ビョークが上海で「チベット独立」叫ぶ

関係者の話題沸騰のこのネタ。

本件に関して、「チベット式」の記事はこちら。「ちべログ」の記事はこちら

ついにメジャーデビューというか、朝日新聞の本日3月6日付けの国際面に記事がでてました。

ビョークが上海で「チベット独立」叫ぶ

アイスランド出身の女性シンガー・ソングライターのビョークさんが2日、上海で開いたコンサートで「チベット独立」を叫び、物議を醸している。中国紙「環球時報」などが伝えた。

 報道によると、ビョークさんは上海国際体操センターのステージ上で、「ディクレア・インディペンデンス」という曲を歌った際、「あなたたちの旗を高く掲げ、独立を宣言しよう」という歌詞の後に「チベット! チベット!」と叫んだ。

記事の続きはこちら

で、ビョーク本人がこの件についてコメントを出しているようです。記事はこちら
英語の原文はこちら。末尾の"justice!"がシビれますね。

さらに、shangaiistという英語のサイトで、「ビョークは本当に上海のコンサートでチベット独立を熱く支持したのか」という記事があり、中国のネットでの本件に関するコメントも紹介してます。

「下劣で暴力的な行為だ!」、「関係者に罰金を払わせ、もう公演に呼ぶな」というのから「こういうことをしそうな人だから別に驚かないよね」、「ちょっとくらいチベットのことを歌ったからといって、激しく批判する必要もない。中国政府はそんなに神経質なのかね」とかいうのまで、色々あるとか。

記事はこちら。

と色々書きましたが、私はbjorkの歌をこれまであまり聞いたことないんですね。すんません。

タモリ倶楽部の空耳アワードとかにたまに出てくる人?


 

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